不動縁日 月例護摩

毎月28日は不動明王の縁日です。厚木市に於て法事を終えて、自坊に戻り厳修しました。

三宝院流では積木二段ばかりにする方法も有りますが、西院八結に基づく一段盡護摩で修行しました。実類の火天では無く等流法身の火天であり、その徳を部首や部母、本尊段(法流により各段の構成は変わります)などで別解別修すると考えれば納得出来る口伝です。

また護摩の供物である薬種(現在はクコが主流)を東さんから奉納頂きました。有難う御座います。

最近は専ら自行として大般若理趣分を真読作法をしています。経典を守護する龍神が読誦の際には、九頭龍権現の木札へ移動して下さります。

持仏の修法壇

月参りをされております施主様より、店舗の祈祷依頼を頂きました。間取りの図面を鑑定しながら風水上の対処を検討しています。それ以外は実地に赴いて臨機応変に対峙しなくてはいけませんね。いざという祈祷の時に重要な事は、日々の自行と祈祷する上での論理です。「呪法上の理屈や加持の原理を理解しているかどうか」が個人的には大きな鍵だと体感しています。依頼主たる施主の信心も当然重要です。行者はあくまで仲介人です。入我々入をすれば…というだけでは計れない仏意があります。

法界は大きな一つの生命体(不生不滅の存在)で、私たちはその内にある細胞のような働きです。本尊と行者、施主の三つが等しくなれば成就に至ります。個人の意思が全てを掌握する事は出来ません。加持は万能なドラえもんの秘密道具ではありませんが、一個人を離れた広大深遠なる一切と繋がりを感じる幽玄な手段です。

阿闍梨は曼荼羅に引入された応身の仏であり(※本有本覚と修證始覚の位による違いはあるので厳密には菩薩なれど文意としてご理解ください)曼荼羅では般若菩薩の座位にあって内証の智慧を具して、金剛薩埵の行儀を以て化度に向かう。世間出世間の隔執を離れて、存在自体がそもそも生仏不二を顕している。

この自覚は行者にとっては本当に大切です。だからこそ加持をする時に仲介人となり得る。この理屈を無しに祈るだけなら、誰だって良いのです。仏と繋がり曼荼羅の一尊として働く事が阿闍梨としての矜持です。委細は詳説すると長文になりますしこの辺りで。今回は密教僧の単なる呟きになってしまいました。

撮影が下手ですがお護摩の写真を掲載しておきます。

10月13日 増益護摩
11月28日 不動息災護摩

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