謹賀新年 2023

明けましておめでとう御座います。本年も変わらず一切衆生の離苦得樂を祈念致します。

現在、京都の東寺では後七日御修法が奉修せられております。それに合せて当山では金光明最勝王経の読誦を行います。また、能作性如意宝珠を奉持する密教行者として秘法を厳修致します。

1月8日に得度式を執行しました。昨年6月に当山の門戸を叩いてから、いくつか試練を課しましたが紆余曲折ありながらも取組んで来られました。仏弟子となる生き方を誓願する儀式は神聖なるものです。また密教の守護相続者として師になる者は慎重に受者を判断する必要があります。今年は弟子が一人醍醐傳法学院へ入学しますので、私も気を引き締めて日々を過ごそうと思います。

話は変わりますが久々の投稿ですので余談を少し…。

性相学上では煩悩とは戯論の活動に因るものです。故に戯論を停止して、真言の活動により一切を作業する。由て第七末那識の自己意識を離れて阿頼耶識を浄め善種子を薫習する。成仏法たる自行無くんば真言僧に非ずです。また、自行即化他行なるを心得ねばなりません。真言念誦の功徳は法界へ廻向しております。

阿闍梨の衆生化度とは天尊への教勅が不可決であり、其れにより成就します。肉体を具したる身の上故に眼前の一人にしか相対すること能わざるも入壇の阿闍梨は大日の位を得て向下門の活動を誓願したのです。大日なるが故に天部の教勅が可能です。自らの成仏は一尊の瑜伽で充足するものの、天部を拝む所以はこの至極にあります。

仏菩薩の瑜伽は自身の成仏を期せん為(智慧)、天尊教勅は護法を憑んで衆生済度の為(福徳)と覚悟の資糧そのものですから何れにせよ行法が真言行人の命根です。納めの行法から年始の供養に際して書き留めておきます。合掌

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